2011年10月21日金曜日

デュッセルドルフ日本人学校の学校祭にて

Yamakata




 ~これからの日本を考えよう~


「私は今、日本でほうしゃのうがちらばっているのは、大変だと思います。
 どうして、日本は、みんなで良いちえを出し、
 なんとかそのほうしゃのうを止めないのでしょうか。

 そして私はいつもどこかの発明家がこれをとめないのかと思います。
 そこで私は、このほうしゃのう大そうじきがないかと思いました。
 これは5㎡の大きいそうじきです。

 たとえばある時間にみんなを家にひなんさせて、
 大人20~30人をあつめ、そのそうじきのONの所を押し、

 そうじきがほうしゃのうをすいとっている間、
 大人達が少しずつそのそうじきの向きを変えるのです。

 私もそんなそうじきが発明されたらほんとうによいと思います。」

 Ich mache mit sagen um Japan,weil dort jetzt Radioaktive da ist.
 Da habe ich mir etwas gutes um diesen  Thema ausgedacht.
 Warum es keine Radioaktivesauger ? 




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非常に面白かったです。


子供も、よく考えているんですね。
もしかしたら大人よりもずっと。
添付は子供たちの展示です。


小さな子供は、世の中はよい人ばかりだと思っている。

悪い人なんているはずがない。
それがいつかどこかで現実にぶつかってひどくショックを受ける。
自分の息子もそうですし、昨日今日と泊まりにきている知り合いの子もそう。

子供は論理ではなく直感で真実を知っていますね。
しかし、それがまた非常に論理的な帰結であったりする。

本人には説明できないというだけで。




 
私が この絵を書いたのは、日本が原子力発電ではなくて、
 
自然の発電を使ってほしいからです。
 
Ich habe dieses Bild gemalt damit Japan kein Atomkraftwerke
 
sondern mehr ktaftwerke der Natur benutzt .   
















  
石油製品は他の素材で作る!







「フィットネス機械のようなダイナモ発電機をおけば日本の消費電力の40%はまかなえるかも?
 しかも環境をよごすことはほぼナイ!

 人手が多ければ多いほど良いから、失業者問題もなくなり、国も少しは手が空き
 もっとマシなこと(例えば、助けが必要な人を助けるなど)をしてくれるだろう。(一部略) 」


高学年の子でしょうか、そのシステムの手順までしっかりと書いています。




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watanabe

なんでも科学的な技術に導入を任せると、ただ人間は、細部の非常に専門的な、非人間性ともいえる仕事
に専心して、こころを失っていくのでしょうか。

こういうのは、フランツ・カフカなんかの痛烈な文がぴったりですね
資本家が冨を求める需要とあいまって、苛烈な競争・冨の収奪への警鐘、

社会主義・公平主義・結局官僚化した共産主義は、人間の根源の、互いに競争して切磋琢磨し成長する
心を損なうが、その肥大化を防ぐには、やはり、共生への認識が必要、
それは、頭ではなく、心で、情緒で感じられるものであろうとおもいます。

情緒的ってことばはよく、ネガティブにとらえられますが、その低い次元では「感情的」「emothional」と言い換えられるでしょう

・・・・・こんな小難しいこと言ったって、こどものことばのほうが、よりシンプルにひとのこころに届きますね。




出光商会の創業者の言葉



先日、東北に行ったとき、仙台の出光GSのラウンジに、出光興産のお客様むけパンフレット
「月間 出光 9月 2011年 No.705」 を手に取った。

出光 裕治 現社長の入社式の訓示ということで、出光商会の創業者の言葉が記されていた。
「黄金、学問、組織・仕組み」この3つの奴隷になってはいけない。

もちろん、物質社会に生きる以上、これらに頼って生きるのは必要だが、頼りすぎて精神・心までも奪われてはだめだ。
これは、あくまで、方便がゆえ、人間が作りだしたものであるから、
主人は「人間」 主体は「こころ」であるべきというようなことが書かれていました。

「人間尊重」を第一に考えれば、おのずと良い「知恵」、新しい共同体のありかた、そのために科学・黄金を使い
組織を改変してく、という道筋を、創業者の方は、おぼろげに見ていらっしゃったのかもしれないと思います。


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Yamakata

セヴァン・スズキの国連での言葉。

どうやってなおすかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください

とても論理的ではないですか?
とても当たり前のことを言っているだけ。

だから大人は正面から反論できません。

それで、ああだこうだと屁理屈という論理武装をして、「いや、これはいいんだ。これは特別なんだ。」と誤摩化す。

それを聞く大人は論理をこねくり回されると、ひどくおかしなことでもなんだか
正しそうに聞こえて信じてしまう。特に権威のある賢そうな人が言うと。

王様は裸だ!

とはなかなか言えないのです。どこかで思っていても、それを言うと馬鹿にされるんじゃないかとか、
たいがいはそういうくだらない理由で。

でも、世の中で論理、論理とか言ってとんでもなく非論理的なことがまかりとっていることがざらではありませんか?

王様は裸だ!とずばっと言うことのできる子供も参加するイベントができたら面白いですね。