福島産の蚕種と養蚕技術なくして、明治維新なし
但馬(兵庫県)の蚕種家の上垣守国は、1771年、福島(奥州)を訪問し、
福島産の蚕種と養蚕技術を研究して、1803年(享和3年)に「養蚕秘録」を編纂した。
その内容は、我が国の蚕業の起源、カイコの種類、蚕種の取扱、桑の栽培、蚕質、蚕具について
さらには、飼育法、蚕病、製糸方法を詳述しているという。
製糸技術水準は西欧に遅れてはいたが、蚕種そのものの、安全性、病気への強さは、日本種のものは
ヨーロッパ・アジアの種を圧倒していたという。
驚くべきは、この「養蚕秘録」をシーボルトがオランダに持ち帰り、オランダの農業先進大学のライデン大学の
J・ホフマンがフランス語訳したところから、かのパスツール博士もこれを読み、
フランス・イタリアの養蚕業に当時蔓延していた伝染病を克服する発見をしたという。
つまり、福島の技術が、世界の信義をかつて勝ち取っていたのだ。
Fukushimaという名前は知られなくても。
また明治時代初期の輸出品では、原料生糸が輸出額の50%近く、絹織物製品と合わせると60%もの産品により
日本は外貨を獲得し、国富をすすめ、優秀な海外の大砲・火器を買い求め、植民地にならず、
独立国となることができたのだ。
蚕なければ生糸なし、生糸なくして外貨なし、外貨なくして軍備なし、当時の植民地主義の時代、
なぜ日本が主権を保てたのか、データを辿れば、蚕産業に行きつくのである。
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