<新しいコミュニケーションヘ>
<ディベートについての論考>
Domenico Zipoli (1688 -1726) - Canzone in fa maggiore dalle Sonate d'intavolatura
2011年10月19日 watanabe
世間一般にしられ、ディベートにおいても日米両国でのご経験を踏まえた
苫米地英人氏の著「人を動かす、「超」話し方トレーニング sbクリエイティブ出版」より
より基礎的な概念を抜粋し、渡辺が、例および注釈、意見を述べさせていただいております。
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A,論理的話し方・・・通常のディベート
マリサス「人口の過剰は、貧困・食料不足を生み出す」
⇒人類を貧困から救うなら、殺人・戦争もアリ、積極的に減らすべき(ヒトラー・スターリン)という論理も成り立ってしまう。
(Aだけの場合、人間性・情動性・倫理観を抜きにして合理性だけで話す)
ただ苫米地氏は、ここを徹底的にクリアにしなことには、
ビジネスという競争の場ではある意味ここを強化しなければならない。
Bも生きてこない
日本人は、BはできてもAが弱いという意見です。
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B、情動的話し方
でもみんな、死にたくないでしょという、相手(聞き手の)の情動・感情を利用する。
*渡辺追加
⇒さらに、自分がいやなものを、相手にもしてはいけない、殺人はいけないということになります。
(Bを使うとより、人間性に伝わる。感情をともなわない意見などない
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Bを効果的に話すための方法 (渡辺注-以下のCに繋がると考えられます)
1、自分を見つめなおして、自分の世界観を知る
*我欲を止めて、自分を見つめる
2、その世界観を他人が聞きたいというレベルまで昇華させる
(抽象性・普遍性の高い内容にシフトさせる)
*例⇒世界から差別と貧困をなくしたい
3、昇華させた世界観に対する相手の臨場感をたかめる
4、世界観を言語化して話す(シンプルなキーワードをs使う)
話にCalling(世界観・理念・大義・使命)があれば、人は感動する
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*渡辺 補足追加
じゃあ殺人はいけないなら、戦争で人を殺さないために、武器は捨てるの?
⇒もし武器をすてたら、相手が攻めてきて、自分の家族を殺したらどうするの?
犯罪者は常にいるよ、法律だけじゃだめでしょ?
⇒相手が殺しにきたら自分たちを守らねばならない⇒そもそも殺しにこさせなければよい
⇒軍備で自衛・まもればよい。
そういう意味で武器はすてない⇒でも本当は核は廃棄したい⇒でもキムジョンイルが核をもったらヤバイ
⇒じゃあ彼にもたせないか、大国同士でお互いに核を持ちあって、
勢力均衡で治安・平和を維持しよう。暗黙の、核抑止力・・・これが地球の現実といううことになります
*なぜこれを述べたか、以下の苫米地氏があいあまいにしか述べていない、
Cが非常に今後の世界に重要だから、または、今後も人類が永遠に解決しえない命題だから、というように感じます
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C 高い次元からAとBをコントロールする(抽象度を上げる)
AとBを包括して、セルフィッシュな欲から自由になる、
時間という4次元の枠も超える
ゴールをアンセルフィッシュなものに変えるべき、と言っています。
Cを持って、AとBをコントロールすると、あなたは誰からも共感を呼ぶ話し方ができる
常に、一つ高い抽象度で、ものみれれば、世界をひろげて、俯瞰してみることができる。
*渡辺意見:
Cは、これは、道徳・倫理観・信仰・宗教というものになるでしょう。
A・Bが極端に進むのをおさえ、中庸の道につながる。
*世の中には、理屈抜きに悪いものがある。(河合隼雄)
*ならぬものはならぬ(会津の藩校 日新館の教え)
*惻隠の情、Compassion、もののあわれ
*AとBはごちゃごちゃにしてはいけない、本質的に矛盾関係がある、
これをCというより高い観点でコントロール
苫米地氏は、AとBに章を与え、Cには詳しくはふれていません、
これを融合するのは、世界的な実業家、政治家、芸術家、詩人、思想家の
進もうとしている道に通じるものがあると思います。
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渡辺 注
言論界のみならず、経済、国際・市民政治の場でも以下の構図があります。
「人類は永遠の闘争をベース、自然への畏怖をもって、歴史から学ぶという保守主義」
⇔
「進歩主義、左翼的発想、自然を従えるという科学万能主義」
では Aについて具体的な例をのべます。
具体例は、苫米地氏、渡辺の例が並列されております。
ディベートの基本です、われわれの討論・ディベートと名をうつ以上、
多くの方は、この見方で入ってくるでしょう。
フォーラム・ディスカッションとは異なります。
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<苫米地氏のAについての注意>
1、ビジネスに情動はもちこまない
2、三段論法は捨てる、机上の空論
3、論理的話し方の基本⇒「データ」「ワラント」「クレーム」
4、物事の主張には、事実と論拠が伴う。わたしは、こう思うではなく、根拠をしめす。
5、主張するには、反論も推定しておく
6、論理的な仕方を強化するには、「バッキング」「クオリファイア」「リザベーション」を強化する
7、論理的に反駁・反論するには、「事前の必要性・ケースサイド」「事後の有効性・プランサイド」を疑うこと
8、ターンアラウンドで、相手のデータを利用して、「ワラント」をひっくり返すことができる
9、論理的ディベートの話し方は競技ディベートにある・特定の国の言葉が適しているということはない。
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ではAの具体例です
<クレーム>:論理によって構成されている主張
*わがMM電機は、ソーラーパネルを生産すべきだ(以下、パネルと記す)
<データ>:論理の根拠・状態・事実・最初の状況説明
*地球温暖化で、化石燃料が悪いといわれている。
*自然の再生可能エネルギーの市場のニーズがある
*他社が、パネルで収益を高めている
*ゲンパツ事故で、人々は原発にウンザリ、危険を感じている
<ワラント>:
・「クレーム主張」の根拠として「データ根拠」が利用可能であることを正当化する情報
・提示したデータが、なぜ主張するクレームを裏付けることになるのかという証拠
(例)パネルが日本市場に普及しているならば、
日本に主要顧客をもつMM電機の社のパネルも売り上げが伸びて
利益を生み、さらに、地球温暖化も防げるので、社会貢献ができる
(反論の際は、このワラントと違う情報で、相手のクレームをひっくり返すことができる=ターンアラウンド)
・反論1(違うワラントをもってくる)
⇒パネルは実際に普及しているのは、上流階級だけ。これから格差が広がり、貧しい人が増えれば、パネルは高額だから、普及率は鈍化する。コストが回収できなくなるよ。
・反論2(違うワラント)
⇒パネルは、昨年まで普及していた。しかしそれは、二酸化炭素悪玉説があったから。
今年になって、CO2は、原発マフィアとよばれる産業のメディア洗脳の産物という事実もでてきた。
フクシマ後は、CO2よりももっと危険な、原発をまず先に廃炉に行く世論と政策のながれだだよ。
⇒それに変わるのは、太陽光パネルじゃ、産出量がが少なすぎて、脱原発分を補えないよ。
現在使っていない火力発電所(石油)を使うべき、さらにま日本近海には、凍った天然ガス(メタンハイドレード)が大量にあるから、設備投資と回収には、もはやパネルは確実とはいえないんじゃないかな。
⇒そもそもソーラーパネル生産には手をだすべきじゃないよ。(ひっくりかえすターンアラウンド)
<バッキングB論理>:ワラントが正しいとする、証拠。証言。統計。価値判断。信ぴょう性。
*市町村合併で資金力を得た自治体が第3セクターとして、自主事業に積極的だ。
*政府が全量買い取り制度の実施を段階的にきめた(発電はすべて、投資分が回収できるまで国や大手電力会社、配電会社が、全部一定価格でかわなければならない)
自治体の支援、国からの交付金もある
⇒(これへの反論)バッキングとワラントの直接的関連性・因果関係を問う
*そもそも全量買い取り制度があるからといって、フツーの会社がいきなりパネル事業に参入して利益がだせるのか
<リザベーションR論理>:
クレーム(主張の)の例外、別の手法を示してみて、それより、こ のクレームが妥当なのだということをしめす。反例。
*風力もあるが、風車は、毎秒風速7m吹いている土地じゃないと、利用できないから、一部地域でしか使えない
一番普及が見込めるのは、自然エネルギの中でソーラーだ
⇒(これへの反論)そもそもの<データ>の資料をもとに信ぴょう性を問う
*安い、性能の悪いパネルははそもそも電気をあまり生めないことをしめす。
ソーラーより、マイクロガスタービン(火力)のほうが、出力エネルギが高い
<クオリファイアーQ論理>
クレームの定性表現:possibley,abosolutely,usuallyなど
クレームの定量表現:何%とか
数字、数量、定量を示す
*2008年の世界の太陽電池生産量は、2005年に比べて3倍以上。
*コストの安い、中国の企業が、ついにシャープを抜いて1番になった。
⇒(これへの反論)その数字が正しいのか、その数字の効果が、usuallyなのかを問う
そのデータは、信頼できる機関のもの?
東電の発表なら今は市民からはあまり信用がないよ。
さらに、反論にあたって、以下の方法があります。
★1、ケースサイドから反論:事前の手法の必要性を問う
*ハーム:その手法を実行する(パネルを生産すること)ことに、
意味があるのか、そもそもの因果関係を疑ってその必要性を問う
・本当に地球は温暖化しているの?
・そもそも会社のパネルで収益を上げる必要はあるの?
・本当に原発は、危険なの? あれは津波が冷却装置を壊したんじゃなくいて、
テロリストが、小型原爆を爆発させたらしいよ。(真偽はおいておく)
*インヘレンシー:そのケース・手法以外に、別の方法が、別の問題があるのではと問う?
・本当に、地球温暖化は、別のことが原因なんじゃない? 化石燃料を燃やすことはそんなに悪いの?
・脱原発といってるけどそれは、世論調査、都会の市民だけ。立地自治体は、原発の交付金がないと生きていけない。実際4市町村をのぞいて未だに、交付金をもらっているよ。
・立地自体は、もともと貧しいし、復興資金・住民サービスのためにお金が必要だから
・脱原発を市政で明文化しているのは、南相馬市だけだよ⇒脱原発が社会の総論ではないですよ
★2、プランサイドから反論:事後の手法の有効性を問う
ディスアドヴァンテージ(それを実施してしまった場合の不利益性)
*パネルを製造すると、今までの製品の技能労働者を解雇しなきゃならないよ。
*パネル製造にはかえって設備コストが収益を圧迫するよ
*脱原発したら、当面のエネルギーは、原油価格が流動性が高い、国際投機の対象になっている石油に頼るとコスト増になるよ。
ソルベンシー(それがそもそもの解決につながるかどうか)=ケースサイドのハームと同じ
*パネルを作っても、中国がもうシェアの1-3位を占めてるから遅いので、会社の利益にはならない。
*パネルをつくっても、製造時の資源ごみが増えて、それを燃やすため、地球温暖化の貢献にはならないよ
以上
2011年10月19日
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