2011年10月30日日曜日

福島の野菜について考える 2  「土地を支える農家」そして「農家をささえる市民」




上記は、JR新橋の駅前、カタログハウス社の売り場1Fのメインフロア
「福島さん(産)の野菜」コーナー



やはり、買い支える「ひとの力」 、理解しようとする力。
傷物、を嫌い、包装箱をすこしでもきれいんもの、おいしそうなもの、パッケージデザイン、
見た目に必要以上にこだわるのも日本人。

ダイエーなどの量販店が、行う場合、年齢別の制限、そういうポップがだされた時点で、
主婦は子供には食べさせないと思います。
直感的に、保護本能が働いて、「美味しそう」という感覚が減退するのではと思います。

ただ、ある程度の年齢層なら、たとえば、お店においてあるカウンターなどで、
目の前で測って、表示のベクレル数に誤りがなかえれば、購入するということがあると思います。
しかし機材はそろわないのが現実。全量検査もできないのが現実。

大量に扱う流通業者にはそもそも矛盾しており、無理がある。
ただし、そこまで思い切ったことをするお店、農家、第一歩を行う農家が出てきていますね。
カタログハウス社の新橋店、また福島屋さんなど。
今日いったダイエーでは、ナシも、トマトも、桃も、
お客に一番良く見えるディスプレイに設置されていました。
店の「売りたい」意図、「売れる」目論見を感じます。実際、これだけ豊富にならんでいると
美味しそういです。トマトモ、桃も、なしも、ベクレル表示はありません。
何かがオープンでないことも感じます。
適正価格で農家から買い上げているのか、安く買い上げ、通常で売る、
そんな商道徳への背反がもしあったら、と不遜にも考えてしまう。
多くの消費者は、「買い支えたい」「おいしそう」が入り混じった気持ちだと思う。
政府から農家への補助金の話も出てこない、福島県民、農民がぐっとこらえている姿が
浮かんでくる。

日本は、ほとんどの農産物において、産地を単位として、
計画的かつ安定的な供給、需給調整に合意した地域で、産地同士競ってきた。
それにより日本の食文化は、成り立ち、日本の農業は、競争力をおのずと高めていった。
しかし、それにより、生産同士の争いで疲弊し、農協が間に入り、そして流通業者に
商物分離で買い叩かれ、流通側が優位の立場にあることを
花き業界を調査したときに学びました。
*バラ生産者のマネジメントを考えるブログ
http://irosarosa.blog81.fc2.com/

「NPO生産者の存在がこれまでの花き業界を支えてきた 」
「やっぱり自分で価格を決めたいんですよ 」
これらの項には、なるほどと思わせる何かがあります。
このブログでは、卸売り市場の内部観察もしていらっしゃり、視点が鋭いです。ぜひごらんください。

しかし、情報開示をして、野菜を○○才以下禁というものでも、購入する層は確実にあると思います。
それは、生産者で、あくまで「除染をするのだ」という強い意志を持ち、
自然に寄り添う立場を明確にする農家があるように、
消費者でも、正しい情報であれば、40歳以上であれば、低線量、基準値以下であれば、
また年間通じて食べるわけもなく、旬に美味しいものを普通に摂るだけでも
大きな影響はないと、「意識的に美味しく」食べる市民も存在する。
これこそ、商道徳ならぬ、生産道徳、そして消費道徳の形でしょう。
この3つが健全であること。
しかし5-10年後に、はじめて、小児白血病、心不全などの、症例がでたときに、
マーケットがどう対応するのか、今までの表示で安全だったのか、
いっせいにそのときにまた、世論が沸騰するはずです。
このときに備えて、検査と表示だけはやはり求めたい
また、「ホウレンソウ」ならホウレンソウの産地同士で、全国ホウレンソウ協会などで、
そこの認定機関に、「放射能安全度」などのお墨付きをもらうような流れに、
なればと思う。共同で、検査とPRに出資する。今は、調査も計測も、バラバラ。
どこかで、統一した流れにもっていく必要がある。
風評はいつまでも収まらない。
中国の農薬にまみれた汚染の情報も、改善されてはいても、統一的な認定機関から、
継続的に「安全情報」が発信されないと、いつまでも中国産へのイメージは悪いままであるのと
同じことである
現在、友人も大雑把に、「西日本」ならOKという判断をしている、という消費者は多いと思う。
それを、東北・関東で結託して、指定産地ごとにいつまでもしのぎを削ってばかりいると、
結局は、流通業者ばかりに「利」が行ってしまう、

生産者と消費者が直でつながる、やはりこれがいちばん良い、ということになります。

0 件のコメント:

コメントを投稿