2011年10月31日月曜日

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった





ドイツのルター派牧師であり反ナチス行動で知られる
マルティン・ニーメラーの詩。
Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller



社会学者の上野千鶴子さんが、「脱原発社会を創る30人の提言」でふれられていた人物。

10年以上前、「the nightmare yearsBBCTVドラマがありました。
CBS記者としてドイツを取材したWilliam L. Shirer ウイリアム・シャイラーが、
情報操作で、国民を戦争に加担させていく、ナチスの政治的企み・陰謀を
ジャーナリストとして追究していく、という内容でした。

彼の著書Berlin Diary (1934-1941) ベルリン日記には、
ドイツが次々とナチ色に染まっていく様が詳細に渡って描かれています。

  私は、そのドラマでこの実在するニーメラー牧師の名前を知りました。

WIKIに独訳、英訳があり、そして以下のニーメラーの詩の意味するものを伝えています。

「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、
社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。

~~~

*日本語訳

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


*English version


First they came for the communists, and I did not speak out,
(When the Nazis came for the communists, and I did not speak out,)
because I was not a communist;

Then they locked up the social democrats, and I did not speak out,
because I was not a social democrat;

Then they came for the trade unionists, and I did not speak out,
because I was not a trade unionist;

Then they came for the Jews, and I did not speak out,
because I was not a Jew;

When they came for me,
and there was no one left to speak out for me.




*Deutsche version

Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich nicht protestiert;
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie die Juden holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Jude.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

~~~
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』ミルトン・マイヤー
『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未來社、1983年)や
『デモクラシーの冒険』([[姜尚中]][[テッサ・モーリス=スズキ]]、集英社、2004年)でも引用されている。






2011年10月30日日曜日

祖先からのアドヴァイス~昭和天皇の言葉にこめられているもの

watanabe


 昭和天皇の玉音放送の終末箇所に、
日本の歴史観、倫理観が、

現れているような気がします。
あくまで私の個人的に感ずることです。

「・・・・・もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、
あるいは同胞排せい、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、

信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。

よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、
任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、
道義を篤くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、
世界の進運におくれざらんことを期すべし。
汝臣民、それよく朕が意を体せよ 」


このような文面をものした君主は世界を見渡しても、
1000年の単位をとっても3人といないでしょう。
それくらいの絶対理性を、諦念と受容・気迫で支えています。

「フランスの人権宣言は、一世紀にも渡って哲学者たち、
深遠な思想家たちに議論されフランス人に受け入れられ、
風習にまでしみこんだ理性である。
その権利と義務は、人間倫理の保証者である「最高存在」を
よりどころとしている。」・・・フランス人作家ジュール・ミシュレが述べています。

この「最高存在」は、日本バージョンでいえば、
「万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして」といわれる陛下の信念に近いものと察します。

我々の祖霊の遺範こそ、
日本精神の瓦解を恐れ、追い込まれた人間・陛下がすがったものであり、
今の我々が頼るべきものであるともおもいます。

それを現実にどう用いるか、その手法は、おまえたちで
考えよ、ということなのでしょう。

これが、フクシマに対するに相応しい、
祖先からのアドヴァイスともおもいました。



無関心と「正論」は、同じムラの住人ではないか?

watanabe

無関心とは、変化を嫌う、いいかえれば、矛盾した状態を嫌うということでしょうか。

非被災地の人間は、秩序の中で、安心して、
レトリックを最大限に振りかざして悦にいる。
こういう側面は否めない、目の前に危機がないのだから。
無論、私もそうだ。

その中での議論、意見は、権威を笠に着ていればばなおさら、
それは影響力を持ち、ヒトはなかなか疑う術をもたない。

放射線のたずさわる技師が、「移住すべきだ、福島の野菜は一切とるべきでない」という。

もう、涙がでそうなくらい、もっともだ、これ以上ないくらい正論だ。

広大な土地があるわけでもなく、補償金額もまかなえず、戸別の食料の検体を
ひとつひとつ測る経済的余裕もない。

その矛盾の中、、こどもでもできる「正論吐く」ならば、
じゃあ、どうすればいいのかを、「対案」を示すべきである。

どんなに専門家だろうと、自分の感情が受け入れなければ、
その存在の全体を、そして詳細を受け入れようとしない、
キレイ好き、見てみぬふり
放射線による実害、そして風評もあるなか、TPPへの加入。
そして「除染実施」と「住民帰還」、そして郡山などでのこどもの集団疎開の訴訟、


 矛盾は、受け入れ、第三の道をゆかねばならない。と思います。

「言葉は、人を生かしも殺しもする」 このひとつひとつの言葉の力こそ、
正負のエネルギーがこもっている。

データをもとに、ワラントを組み立て、そして、人々に語る「言葉」を
丁寧に、取り扱わなければならない。 

まがいの言葉に自ら幻惑し、そして、他者を幻惑したものは、
過日に災いをもたらすとおもいます。


下記は、宮古市に合併した旧田老町役場の前に立つ石碑です。
過去の津波災害から立ち直って、「生まれ変わった」田老町を誇らしげに称えるもの。

皮肉にも、人間の力で「繰り返さない」と誓ってもその7年後に、災禍が襲う。
「あのとき、こうしておけば良かった」

これを矛盾のさなか、無関心にならず、考えなくてはならない。






自分をイデオロギーの小さな枠に押し込めて自らを不自由にする


yamakata

〜反原発派は自分たちの論理の根っこが無茶苦茶だということを反省して欲しい。しないだろうが〜
という意見を聞きました。
しかし、この発言者もまったく同じ無茶なのではないかと僕には思えます

論理には必ず前提となる「公理」があります。
〜公理(こうり、Axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。〜Wikipedia
専門家ではないのでおおよその当たり前のことしか言えませんが、
そもそもの一番大事な部分についてすっとばして議論をしてもすれちがうばかりです。自然科学が発達したのは、公理を厳密に定義したことによるところが非常に大きいと思います。ただし、あくまでそれは、「仮定」であり、絶対的に正しいかどうかは未知です。

アプリオリなものは存在しない。

この認識がないことは非常に大きな問題ですね。
釈迦が2000年以上前に悟ったことから、私たちはまだまだ遠いところにいる。というか反対方向を見ているように思えてなりません。

原発推進派も反対派も前提としていることがらが実は非常に危ういものだということを認識しなくてはいけない。

議論をするには、互いの、できれば人類にとっての共通項をくくり出す、まさに因数分解の基本ですね。
共通の前提として認められることがらを定義しないことには議論がすれちがうことは必至です。
ちがうところに注目して一々反論する姿勢は対立を深めるだけ。
共通項、互いに共感できるものを見つけ、それについて議論を広げていく、通常おこなわれているのとは正反対のアプローチが必要なのではないでしょうか。

共通項として考えられるのは、人間として生まれながらに備わっている欲求、倫理。そうした根源的なことがらから出発して初めて真の対話が始まり、共感ベースの建設的、創造的な議論が活発化するものと思います。

まだまだ人類は自分をイデオロギーの小さな枠に押し込めて自らを不自由にしてしまっている、そう感じます。いい加減、イデオロギー闘争なんて卒業しましょうよ、と言いたい。



福島の野菜について考える 2  「土地を支える農家」そして「農家をささえる市民」




上記は、JR新橋の駅前、カタログハウス社の売り場1Fのメインフロア
「福島さん(産)の野菜」コーナー



やはり、買い支える「ひとの力」 、理解しようとする力。
傷物、を嫌い、包装箱をすこしでもきれいんもの、おいしそうなもの、パッケージデザイン、
見た目に必要以上にこだわるのも日本人。

ダイエーなどの量販店が、行う場合、年齢別の制限、そういうポップがだされた時点で、
主婦は子供には食べさせないと思います。
直感的に、保護本能が働いて、「美味しそう」という感覚が減退するのではと思います。

ただ、ある程度の年齢層なら、たとえば、お店においてあるカウンターなどで、
目の前で測って、表示のベクレル数に誤りがなかえれば、購入するということがあると思います。
しかし機材はそろわないのが現実。全量検査もできないのが現実。

大量に扱う流通業者にはそもそも矛盾しており、無理がある。
ただし、そこまで思い切ったことをするお店、農家、第一歩を行う農家が出てきていますね。
カタログハウス社の新橋店、また福島屋さんなど。
今日いったダイエーでは、ナシも、トマトも、桃も、
お客に一番良く見えるディスプレイに設置されていました。
店の「売りたい」意図、「売れる」目論見を感じます。実際、これだけ豊富にならんでいると
美味しそういです。トマトモ、桃も、なしも、ベクレル表示はありません。
何かがオープンでないことも感じます。
適正価格で農家から買い上げているのか、安く買い上げ、通常で売る、
そんな商道徳への背反がもしあったら、と不遜にも考えてしまう。
多くの消費者は、「買い支えたい」「おいしそう」が入り混じった気持ちだと思う。
政府から農家への補助金の話も出てこない、福島県民、農民がぐっとこらえている姿が
浮かんでくる。

日本は、ほとんどの農産物において、産地を単位として、
計画的かつ安定的な供給、需給調整に合意した地域で、産地同士競ってきた。
それにより日本の食文化は、成り立ち、日本の農業は、競争力をおのずと高めていった。
しかし、それにより、生産同士の争いで疲弊し、農協が間に入り、そして流通業者に
商物分離で買い叩かれ、流通側が優位の立場にあることを
花き業界を調査したときに学びました。
*バラ生産者のマネジメントを考えるブログ
http://irosarosa.blog81.fc2.com/

「NPO生産者の存在がこれまでの花き業界を支えてきた 」
「やっぱり自分で価格を決めたいんですよ 」
これらの項には、なるほどと思わせる何かがあります。
このブログでは、卸売り市場の内部観察もしていらっしゃり、視点が鋭いです。ぜひごらんください。

しかし、情報開示をして、野菜を○○才以下禁というものでも、購入する層は確実にあると思います。
それは、生産者で、あくまで「除染をするのだ」という強い意志を持ち、
自然に寄り添う立場を明確にする農家があるように、
消費者でも、正しい情報であれば、40歳以上であれば、低線量、基準値以下であれば、
また年間通じて食べるわけもなく、旬に美味しいものを普通に摂るだけでも
大きな影響はないと、「意識的に美味しく」食べる市民も存在する。
これこそ、商道徳ならぬ、生産道徳、そして消費道徳の形でしょう。
この3つが健全であること。
しかし5-10年後に、はじめて、小児白血病、心不全などの、症例がでたときに、
マーケットがどう対応するのか、今までの表示で安全だったのか、
いっせいにそのときにまた、世論が沸騰するはずです。
このときに備えて、検査と表示だけはやはり求めたい
また、「ホウレンソウ」ならホウレンソウの産地同士で、全国ホウレンソウ協会などで、
そこの認定機関に、「放射能安全度」などのお墨付きをもらうような流れに、
なればと思う。共同で、検査とPRに出資する。今は、調査も計測も、バラバラ。
どこかで、統一した流れにもっていく必要がある。
風評はいつまでも収まらない。
中国の農薬にまみれた汚染の情報も、改善されてはいても、統一的な認定機関から、
継続的に「安全情報」が発信されないと、いつまでも中国産へのイメージは悪いままであるのと
同じことである
現在、友人も大雑把に、「西日本」ならOKという判断をしている、という消費者は多いと思う。
それを、東北・関東で結託して、指定産地ごとにいつまでもしのぎを削ってばかりいると、
結局は、流通業者ばかりに「利」が行ってしまう、

生産者と消費者が直でつながる、やはりこれがいちばん良い、ということになります。

福島市民の声「何もわからない、今の体内の積算内部被爆量すらわからない」

watanabe

今日、職場で、福島市出身の
おそらく、大学卒業後、20代男性と話したこと。

福島県の放射線リスクアドヴァイザーの山下俊一教授については、知らない。
ただ、県民200万人が、今後被験者となっていくことについては、
「実験台にされるのは冗談ではない」と語気を荒げた。
(県民でも、福島市民でも知らない方がいるということには、少し驚きを感じた。)

「福島の野菜は、福島県民だって食べないとおもいますよ。」
「でも、福島の農家は、きっと大変ですね。」

矛盾したものを人は受け入れている。
気の毒だが、自分自身が食べることはできない。
「夏に、ついこないだも、福島にかえった。町は、普通、なにもなかったかのような生活。」

「出身の高校が、除染作業するのを見た。校庭を大きな幕でおおう。」

地元スーパー名「いちい」

「特に、ベクレル表示、地元でも見ていない。正直、実際にスーパーでそこまでみた記憶はない。
汚染表示があっても、低濃度でも、他に選択肢があれば、
その選択肢が、予算内であれば、そちらに、手が伸びる。」

*もう一人、武田教授の情報を信頼している別の同僚にも、聞く。
同じ答え。
武田先生は、一年位は、風評もふくめ、なにか、売らんが為に対策を講じても、逆にしない方がよい。という、
社会の風潮に従うべき。(武田先生が、そのように言っているかは不明。
彼は、そういっていると思っている、先生の意見は、全体を俯瞰しているから、信頼していると)

2人とも、反原発、原発容認、議論については、不可知論者ぽい、要は、
どちらがよいのか分からない。

「赤ちゃん、子供は、そもそもあまり、福島市内の外をであるいていない。」

「マスクは、みなほとんどしていない、効果がない、と思われている。」

「現在働いている兄弟で、引越した同僚、同級生も多い」

「できるものなら、引越したいとみな思っていると思います」

大学の同級生、警察官になって一年、二年目に、
今回のことが起きて、南相馬市に配備。
「正直、辞職願を考えた。」
結局、辞めず、続行したとのこと。

「しかし、病気が、おそらく、数年後にでるかもしれない。
何もわからない、今の体内の積算内部被爆量すらわからない。」

あきらめざるを得ない状況。

「でも、もし、自分達が病気になったら、一体、どうしてくれるんだ! とおもいます」

私は、そこで、彼との間に、
見えない一線がひかれているのを感じる。彼は、当事者、恐怖を何処かで感じている。

私は恐怖は、身の危険は、確実に感じていない、安心している。
この境界は、なんなのだろう。

そもそも、福島県民は、フクシマ原発の電気を使っていない。

倫理的、道徳的にも、都内の人間が無関心なのは、

そもそも理解できない部分、自分をふりかえってもまったくそうである。




福島の野菜について考える 1

yamakata


まず、私たちの場合の「顧客」とは誰か。そのニーズは何か。

顧客=①食の安全性と情報の透明性を求める市民集団
福島の生産者。
予想される
①のニーズ 情報開示、特に放射能による汚染度。透明性の確保。不正、偽装のない食品。

②のニーズ 農業を営む上で、収入の確保。安売り競争からの離脱。
固定客の確保。良心の呵責からの解放。
(偽装等の不正行為、汚染度のわからない作物をやむを得ず出荷するという行為に対する自責)

しかし、これは仮説なので、より丁寧なヒアリングによってより具体的に詳細に顧客調査をすることが望まれる。
それには、漠然と「何を望みますか?」といった低レベルなテレビインタビューとは一線を画した、
実行可能な、より具体的なプランを練り上げながら、農家の方からの率直な意見を
地道なヒアリングによって取り入れなければいけない。
消費者団体へのヒアリングもそうですね。これらの積み重ねが必要ということだと思います。
例えば生活クラブとのコラボ、生活クラブ内の小プロジェクトというのもありだと思います。
彼らはすでに流通システム、大きなマーケット、しかも固定客を持っている。
ロからつくるのではなく、深い共感を呼び起こすことができれば、
スピーディに解決への道が開ける可能性は大いにある。
生活クラブはもう何十年も反原発で運動、啓蒙活動を地道に続けてきた、
非常に意識の高い団体。母も昔活動していたが、「原発反対」と言うと冷たい目で、
ただ馬鹿にされるだけ、世間はまったく聞く耳を持たなかった。
生活クラブには蓄積された情報、ノウハウ、専門家とのパイプ、
農家と消費者をつなぐネットワーク、必要なことの多くが既に、ある。
そこにひとつふたつスパイスを加えることで、大きなものが生まれる可能性が高い。
土壌は、既にある。と、思う。


同じ空間にいながらちがう世界に住んでいる

yamakata

 やはり、もう時代が変わった、のだと強く思う。

ニーチェが「神が死んだ」と言ったとき、既に時代は変わっていたように、


今、もう完全に時代は変わってしまっている。
ごく少数の人たちがそれに気付き、発信している。
意識化されていないだけで、すでに人々のマインドは変わっている、ということかな。
それを意識するかどうか、に非常に大きな差があるのだと思う。

ただ、次の社会をさらに苛烈な競争、搾取の社会にするのか、
それとも共生、友愛、わけあいの社会にするのか。
... その主導権争いが今秘かに進行しているのかも?
それを指をくわえてなすがままにされるのか、積極的に未来を自らの手で創造していくのか、
どっちを選びますか?
そういうことだと感じています。



「パラレルワールド」という言葉も盛んに使われています
同じ空間にいながらちがう世界に住んでいる。

同じものを見聞きしてもまったくちがうように感じる。
既にパラレルとも言えますが、それがよりいっそうリアルに下りてくる、
色々な人の話を総合すると、
やはりそういうことではないだろうか、とますます強く思います.

討論の目的は何か?

yamakata

とにかく自然に多くの人がそうしたくなる、こっちの水は甘いぞ、楽しいぞ、幸せだぞ、という需要を創造することが必要と思います

今までそれは権力サイドによる非常に巧妙な高度に計算され尽くしたプロパガンダによって行われてきました。
つまり、大衆の心理を思い通りに操ってきた、と。
大衆自らが欲するように仕向けてきたわけですね。
多数が望めばそれで十分。おかしいぞ、と声を上げる人がいても、
それは少数派で力を持ち得ない。

彼らは大衆を説得したのではなく、それと気付かぬうちに教育、洗脳してきたということですよね。

私たちの思考はインプットに対する反応によって起こる以上、完全に自由な思考はあり得ない、とまず考えなくちゃいけない。
そして、インプットする情報を恣意的に操作することで思考の条件付けを行える。完全なコントロールは難しいが、マスコントロールは可能ということ。

この大前提を認識、意識した上で討論がなされなくてはいけない。
自分では自由に思考していると思っているかもしれないけれども、実はすべて条件づけられているのだ、と。

それでもやはり自由に思考したい。少しでも自由な思考に近づきたい。そのときに釈迦が悟ったように大きな何かを得られるのだろうし、創造性も無限に湧いてくるのではないかと思う。

討論の目的は何か?
僕なりの答えが少しずつ見えてきた気がします。
今のところ感じていることは、
「討論を通して思考の自由度を上げていく、真に自由な思考に近づく」こと。
相手を説き伏せる、言い負かすのではなく、すべてを包含する思考、抽象度の高い、だからこそ具体的な個々の事例にすっと適用できる、そうした自由度の高い、柔らかい、大きな思考ができるようになること。

やはり西洋的な思考と東洋的な思考を包含するような(どちらかと言えば非常に東洋的ですが)思考を得ること。


2011年10月21日金曜日

デュッセルドルフ日本人学校の学校祭にて

Yamakata




 ~これからの日本を考えよう~


「私は今、日本でほうしゃのうがちらばっているのは、大変だと思います。
 どうして、日本は、みんなで良いちえを出し、
 なんとかそのほうしゃのうを止めないのでしょうか。

 そして私はいつもどこかの発明家がこれをとめないのかと思います。
 そこで私は、このほうしゃのう大そうじきがないかと思いました。
 これは5㎡の大きいそうじきです。

 たとえばある時間にみんなを家にひなんさせて、
 大人20~30人をあつめ、そのそうじきのONの所を押し、

 そうじきがほうしゃのうをすいとっている間、
 大人達が少しずつそのそうじきの向きを変えるのです。

 私もそんなそうじきが発明されたらほんとうによいと思います。」

 Ich mache mit sagen um Japan,weil dort jetzt Radioaktive da ist.
 Da habe ich mir etwas gutes um diesen  Thema ausgedacht.
 Warum es keine Radioaktivesauger ? 




~~~ ~~~ ~~~ ~~~


非常に面白かったです。


子供も、よく考えているんですね。
もしかしたら大人よりもずっと。
添付は子供たちの展示です。


小さな子供は、世の中はよい人ばかりだと思っている。

悪い人なんているはずがない。
それがいつかどこかで現実にぶつかってひどくショックを受ける。
自分の息子もそうですし、昨日今日と泊まりにきている知り合いの子もそう。

子供は論理ではなく直感で真実を知っていますね。
しかし、それがまた非常に論理的な帰結であったりする。

本人には説明できないというだけで。




 
私が この絵を書いたのは、日本が原子力発電ではなくて、
 
自然の発電を使ってほしいからです。
 
Ich habe dieses Bild gemalt damit Japan kein Atomkraftwerke
 
sondern mehr ktaftwerke der Natur benutzt .   
















  
石油製品は他の素材で作る!







「フィットネス機械のようなダイナモ発電機をおけば日本の消費電力の40%はまかなえるかも?
 しかも環境をよごすことはほぼナイ!

 人手が多ければ多いほど良いから、失業者問題もなくなり、国も少しは手が空き
 もっとマシなこと(例えば、助けが必要な人を助けるなど)をしてくれるだろう。(一部略) 」


高学年の子でしょうか、そのシステムの手順までしっかりと書いています。




 ~~~~~~

watanabe

なんでも科学的な技術に導入を任せると、ただ人間は、細部の非常に専門的な、非人間性ともいえる仕事
に専心して、こころを失っていくのでしょうか。

こういうのは、フランツ・カフカなんかの痛烈な文がぴったりですね
資本家が冨を求める需要とあいまって、苛烈な競争・冨の収奪への警鐘、

社会主義・公平主義・結局官僚化した共産主義は、人間の根源の、互いに競争して切磋琢磨し成長する
心を損なうが、その肥大化を防ぐには、やはり、共生への認識が必要、
それは、頭ではなく、心で、情緒で感じられるものであろうとおもいます。

情緒的ってことばはよく、ネガティブにとらえられますが、その低い次元では「感情的」「emothional」と言い換えられるでしょう

・・・・・こんな小難しいこと言ったって、こどものことばのほうが、よりシンプルにひとのこころに届きますね。




出光商会の創業者の言葉



先日、東北に行ったとき、仙台の出光GSのラウンジに、出光興産のお客様むけパンフレット
「月間 出光 9月 2011年 No.705」 を手に取った。

出光 裕治 現社長の入社式の訓示ということで、出光商会の創業者の言葉が記されていた。
「黄金、学問、組織・仕組み」この3つの奴隷になってはいけない。

もちろん、物質社会に生きる以上、これらに頼って生きるのは必要だが、頼りすぎて精神・心までも奪われてはだめだ。
これは、あくまで、方便がゆえ、人間が作りだしたものであるから、
主人は「人間」 主体は「こころ」であるべきというようなことが書かれていました。

「人間尊重」を第一に考えれば、おのずと良い「知恵」、新しい共同体のありかた、そのために科学・黄金を使い
組織を改変してく、という道筋を、創業者の方は、おぼろげに見ていらっしゃったのかもしれないと思います。


~~~~~~~~~

Yamakata

セヴァン・スズキの国連での言葉。

どうやってなおすかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください

とても論理的ではないですか?
とても当たり前のことを言っているだけ。

だから大人は正面から反論できません。

それで、ああだこうだと屁理屈という論理武装をして、「いや、これはいいんだ。これは特別なんだ。」と誤摩化す。

それを聞く大人は論理をこねくり回されると、ひどくおかしなことでもなんだか
正しそうに聞こえて信じてしまう。特に権威のある賢そうな人が言うと。

王様は裸だ!

とはなかなか言えないのです。どこかで思っていても、それを言うと馬鹿にされるんじゃないかとか、
たいがいはそういうくだらない理由で。

でも、世の中で論理、論理とか言ってとんでもなく非論理的なことがまかりとっていることがざらではありませんか?

王様は裸だ!とずばっと言うことのできる子供も参加するイベントができたら面白いですね。
















2011年10月20日木曜日

女川町コンテナハウス 花屋さん

私には目的があった。
まず訪ねてみなくてはという場所があった。

(personal blog:Kiraly Leanyka 7月の記事より)
先月、初めてGoogle earthで、この女川の地を見たときに
愕然としました。地図で見られるかぎり、
花屋さんはすべてほぼ全壊のように見えました。

女川湾に面して、4つほど花屋さんをお見かけしました。(敬称略)

*フローリスト花かず
*佐藤生花店(フラワーショップさとう)
*花実咲き
*フラワーショップ花友
そんな中、女川コンテナハウスというものを知り,
you tubeで見たときに「あっ」と思いました。
「フラワーショップ花友」さんのお名前が挙げられていたのです。
(先月、このブログの「Book of days」の項でご紹介)
岩手、宮城、福島の被災地域でお花屋さんは、30-40件ほどで
再起の意志を述べられている一時閉店のお店、なんとか再開できたお店など
ブログで状況を把握できるお店は数件に限られていました。

そんな中での、ひとつの良い兆しのようなニュースでした。
花屋さんもそうですが、地域の人々の生活に根付いた商店の運営に、このコンテナは
これは、菅原 出という方が発案し、イタリア製のコンテナハウスを利用し
設置に時間と費用がかからず、そして場所の融通がきかない国の仮設住宅と違い、
利用者のニーズに適した場所に設置できるものです。

ココニコ様(株式会社Zenpro様)が運営し、
NPO・難民を助ける会さまへの一般寄付を呼びかけ、コンテナ利用者に無償で提供されています。
自治体や消防署の仮庁舎、そして自治体の復興計画なくして自分の土地でも
家を建てられない、商売をはじめられない方々に、無償で提供されているということです。
うまくマッチしたといえるようです。
ファミリーマートをはじめ、ナショナルチェ-ン・コンビニの大量出店、
また被災はしましたが、県外顧客がいて、クラウド・ファディング(croud funding)=不特定多数の小額出資を集める中小企業、

これらニュースに掻き消されがちな
花屋さんをはじめとする、地元の愛好・消費に立脚した商店も、
地域の文化と特色をささえる上で、絶対に必要なものと私は考えます。

 国道398号線沿い、町立病院の下から歩いて西に15分くらい。
わたしは、夕暮れ時、閉まっていないかドキドキしながら向かう。

ありました!


赤いエプロンをした女性が戸口のところに、ちょうど立っていらっしゃっいました。

ご挨拶すると、「こんにちは」と静かで穏やかな口調。
(図らずも、私はお名前をききそびれました。以下、花友さんと呼ばせていただきます。)

ここに来た経緯を伝えたあと、フラワーキーパーとかはどうされたのですか、と聞くと、
中をどうぞと、コンテナの中をみせていただくことに。

瓦礫の間を湾のへりまで歩いてきたから、くさいかなと心配したが、

「どうぞ」

あ、ひんやりした空気、花屋さんのにおい
花がいっぱいだ。ところ狭しとぎっしり。

表参道の紀伊国屋のエスカレーターをあがったところの
小さなスペースのちょうどクリスマス時の様子を思い出した。
奥にエアコンが。

紫のスターチス・赤白複合のミニカーネーション
ユリ・小菊・オレンジ色の紅花
そして赤とピンクのバラ。

ちょっと窓べりにおけるグリーンもたくさん並べられています。
すぐ、お祝いに差し出せるように、ラッピングとリボンもつけて。
このリボン・・・

そう、表のポップスタンドの言葉も、「Welcome!!」の幕も、
今、写真で見返しても、わたしが今回たくさん訪問して、みてまわったポップの中でも
`気持ち`がつたわってくるのもので、お世辞でなく、いちばんかもしれない。
  
「もとのお店はもうすこし大きかったんですよ。ここはその4分の1くらいでしょうか。。」
マリンパル女川(写真右下の茶色の建物)の左手前にお店はあったそうです。
今はなにも残っていません。(手前の手すりは女川町立病院)

東京の震災前後の下降する花き消費事情、ガーデンローズのことなどお話すると、
「こちらは、もうお花があること、あるだけで、せいいっぱい。ありがたいんですよ」

わたしはことばが詰まりました。
ほんとうに、一本一本がたいせつなものであることを、
町民の方々への気持ち、無償でコンテナを提供して声をかけてくれた方への感謝を、

そして、花友さんはご家族のことをお話くださいました。
ぽつり、ぽつりと、思い出されるように。
何とお声がけしたらよいかわからなかった。
・・・・・・・・・・
お父さまが行方不明のままであること。
漁師で船で沖に逃げられたが、しばらくした後に、女川湾から15分ほど離れた沖合いに
ご所有の船だけが見つかったこと。
「他の町民のご家族のことを聞くと、自分の家族のほうがまだまだ。。」
胸がつまる思いで私は聞いた。

「まさか、お店を再開するなんて思ってもみなかった。」
「でもこの女川湾からくる潮のにおい。」

時間がたってくると、過去に生きてきた時間がよみがえってきて
またここに住みたいと思うようになり、町内の皆さんからも声をかけられて、
「それならもう一度」

それまでは、町のみなさんは、イオン石巻に買いに行かれていたので
「ああ良かった、よかったね!」
「やっぱり、なんかのときにお花がないと、さびしいんだよね!」
口々に言われるそうです。
花友さんの嬉しそうな顔に、わたしも嬉しくなりました。

仙台花き市場内のお付き合いのある仲卸さんをご利用になり
こまめに仕入れに行かれているそうです。
今は何が売れるかは、(石巻ほど)葬儀用花の需要というわけでもなく、
とにかく試行錯誤であると。
電話もネットも使えないなか、娘さんが携帯のミクシィで窮状をうったえたところ、ご友人、知人から、
「ほんとうにたくさんの、資材、リボンや綺麗な包装紙、使いかけでも丁寧に巻いた状態で
送られてきた」とのことです。
ここで、石巻の立花屋さんとまったく同じことばを、、
「みんな、やさしくて、日本をみなおしました」

そして、先立つものについて。
聞くところによると、女川町の復興は、8年計画とのこと。
「8年も待てないわ」はにかみながら女性らしく言う。

原発については町民の方々は?
「今回も問題なかったので、今後もとにかく信用するしかない」

私は、ここをなんとか、インターネットで多くのひとに知ってもらって
観光地のようになり、非被災地のひとびとが足をはこんで
消費していただくようになればいいですよね、と口にすると

花友さんは、だまって無言で「今はそんなこと思えないし、期待なんて」というような
少しさびしげな微妙な表情をされた。
当然だ。7/1、今から2週間ほど前、一歩踏み出したばかりなのだ。
石巻の立花屋生花さんは、5月の連休あけだから、ほんとうに「ようやく」なのだ。

実はこの日、お昼ごろ、コンテナハスプロジェクトの関係者の方(発起人の方でしょうか)が
訪れてきて、花友さんがなんとか軌道にのせて感謝の旨を報告されると、
その方がぼろぼろと涙をこぼされたそうです。

話の途中で、元気な男の子がはいってきた。よそものの私に明るい表情をみせてくれた。
この子が青年になったとき、県外から、海外からも旅行者が訪れるようになれば。
そういう刺激は彼の成長には必要だし、それが街の成長そのものになるだろう。

時間はかかるが、正しく積み重ねてこそ文化だ。
私は、小さな花束を購入して失礼させていただいた。
コンテナハウスの他のお店もみてまわればとあとでおもったが、
もうじゅうぶんだった。こころに思うことがたくさんあり、
とにかく多くの友人、ひとびとにこのことをつたえなきゃと心に誓った。
帰り際に、撮った写真。 
商店街のかたがた、軽く会釈をむけてくださった。

「がんばろう」は町の人同士では、つかわないし、自ずとつかわなくなる、と
とにかく、むりしないでね」と、精いっぱいがんばる人を思いやることばをかけあう。
花友さん、とても大切なことを打ち明け、教えてくださり、どうもありがとうございました。
また、皆で伺いますね!たくさんのひとにこのことを伝えます!それまでお元気で。





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2011年10月17日月曜日

女川町そして石巻市の花屋さんを訪ねて

Flower shops in Iwate, Miyagi, and Fukushima.


http://maps.google.co.jp/maps?q=%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E3%80%80%E3%80%80%E8%8A%B1%E5%B1%8B&hl=ja&ie=UTF8&ll=38.43814,141.378688&spn=0.140106,0.355339&sll=38.407482,141.310816&sspn=0.070083,0.17767&brcurrent=3,0x5f89a52c69462c1d:0xd247d6a6fe229545,0&t=f&ecpose=38.43813964,141.37868805,27781.18,0.611,0,0&fll=38.426761,141.310528&fspn=0.140128,0.355339&z=12




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被災地・女川町から(7/16/2011)



「宮城県牡鹿郡女川町」

石巻から、約1時間。13:00に出発

JRの代行バスで向かうと道中、右手に静かな万石浦が見えてくる。


石巻湾の東に河口の塞がる内海として万国浦があり、
卑近な連想をお許し頂きたいが、ちょうどエーゲ海から黒海に続く地形に
似ている。
  津波の影響はなくも、地盤沈下で2回/日の満潮時には床下浸水が酷いようです。



  町内へ
  
 
 

   明るい日中のあいだに少しでも遺品を捜す方々をお見かけします。


バスは、高台へ進んで行く、女川町立病院を通り、
災害対策本部のある女川第二小学校、
女川運動公園のある地域へ。

  女川総合体育館


町の歳入の65%が、電源交付金をはじめとする原発関連のもの




この近くに、自衛隊のヘリポート、そして遺体安置所があります。



陸上自衛隊 四国第十四旅団    ここで炊き出しのお風呂を提供しています。

私の大学時代の同窓生が海上自衛隊にいます。
今どこで、何しているのだろう。
変わらず、気仙沼などで救助・捜索にあたっているのだろうか。

いつも穏やかで、泰然としていて、カレーライスが好きな渡辺 匡(わたなべ ただし)さん。

いつも教室の一番前に座り、
試験前には、政治学原論とかのノートをニコニコ笑って、快く貸してくれました。

自衛隊の方々の公共心は、さまざまなニュースソースから入ってくる。
彼らが、粗食で勤務にあたっていることや
自らの家族が被災していても、国を掲げた目標、チームとして行動を優先しているとのこと

黙して語らぬかれらの献身なくして、平和、そして経済活動なんて絶対に成り立たない。



酢入りのハエトリボトル。これはまだまだ甘い。

       
       丘
  


 この見晴らしのよい高台の地域は、町民の住宅の集約地として検討されているそうです。
 








医療関係者が避難所へ。


 残っているのは大きいサイズのみ

 
 移動郵便車


 給水車だろうか。







市街地へ、いよいよだ





 「まげねっちゃ」






 爪跡


中心部へ徒歩で





蝉が鳴く。

車両が途絶えると、ミーン、シャー、遠方で聞こえる

今年の蝉は、こんな町の状態を地中深くにいたときは、想像できたであろうか。

いや4カ月前の幼虫のときすでに、揺れを感じ、おかしいなと思ったであろうか。

そして山の神は、海の神が猛り狂うのを、為すすべなく、ただじっと見ていたのであろうか。



 

JR女川駅があった場所から、東側をみる


 

 そして西側


 同、100mも行けば、もう海面が接している。この向こうから、、、地響きとともに、




    その先、100mほどは、地盤沈下の影響で水没エリアだ。


 

女川町 
人口:9965人 世帯数:3860 高齢化率33.7%
震度:6弱(女川原発) 市街地水没率:43%
死者数:394人 行方不明者数:873人 (4/30 時点)
避難者数:2136人 津波の高さ:17.6m(町立病院)
特産物:カキ・ホタテ・ホヤ・ブリ・サンマなどの海産物


女川町立病院  
ここの1F付近にまで(地上6・7Fの建物の高さに相当)津波は来たそうです。
高台にあるのですが。
中央の掲示板が津波で曲がっているのがわかります。

 

 湾内の先にひっそりと墓碑が立っている。





「集約構造」そして「ガレキ」

女川港は、東側に向いている。

南北に土地がせり出して細長い湾を形成している。
松島湾が、湾内に小島が数多くあり、力を広い面積で分散吸収した為、
各ポイントの被害が小さいのに比べ、ここと気仙沼湾は、
津波の力がおのずと集約するようになったため、
人口1万人ほどで寄り添って生活してきた、「町自体の集約」も被害を大きくした。


 





中心部の「鷲神浜」沿いに南東へ500mも行けば、解体業者の建物の先、
「小乗浜」には、瓦礫が山と積まれていた。
視界を遮り、暑さでじりじり焼かれた粉塵は潮風に乗り、匂いがきつかった。
高さ15mほど 幅はその3倍以上。
少ないカラスが、もう食べれるものは食べ尽くしたことを物語る。


対岸を見やると同じく、水産加工工場の合間にうず高い山が点々としている。
湾の両翼がこの有様では、瓦礫処理の遅延は、国の方針の遅れが指摘されている。





外部の者にはモニュメントにも見えるが、

「がんばろう」

この言葉は町民の方々は、皆使わないそうだ。

きっとボランティアのかたが書いたのかもしれない。

いまだご家族の遺体も見つからず、長い期間を、

もう精一杯やっている方々に

その言葉はむなしく響く

「だいじょうぶ? むりしないでね、」
先が見えない、お互いが同じつらい状況だからこそ、

相手をおもいやる気持ち。

その言葉はおのずとかわってくる。

言葉をきけば、そのひとの公の心、私心のありようが
あらわになる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


被災地・石巻市から(7/16/2011)



石巻市

JR石巻 9:00
今日は、連休の初日。


仙台へ向かうバスへの乗客が多い。
地元の方の買い物、そして学生だろうか、一仕事終えたボランティアの方々。

駅の南に市役所があります。
昨日の新聞でもかなりの数の職員の方々が、精神的なストレスを抱えているという記事。
掲示板には、行方不明者の遺族の方の声も依然として掲載されています。

階段ですれ違うのはご年配の方が多いです。


3Fは大きく、中がすべて見渡せて広く、
節電しているのか、少し暗いかなという箇所もあった。

町の様子はどうなのだろうか、


~~

以下、少しでも内外の多くの方に現状をお伝えして、
なにか善きことを考え、講じて動いて頂きたいがため、
お店の外観含め、ありのままの姿を掲載させていただきました。
なにとぞ、ご了承お願いしたく存じます。

またこの地域で、お亡くなりになられた方々へのご冥福と、
そして、ご存命で厳しい状況にいらっしゃる方々へ、
少しでもご回復をと心からお祈り申し上げます。


~~

駅からすぐのところ、息をのむ。



エアーズロック石巻という、コンビニ・ビジネスホテルの
フロントの女性から、辺りのインターネットカフェなどもすべて
撤退とのこと。

右手向かいの石巻グランドホテルは改装中。同じく、右隣の石巻サンプラザホテルはしっかり営業中、ボランティアまた県外の視察の方々の需要があるとのこと。


フランス料理屋 おおたやさん



すぐに石巻街道にでる。
この立町地域の商店街はどうなのだろう。

営業再開のカフェ
 

立花屋造花生花店さん  営業中の張り紙が。


ペンキを塗る方

ノスタルジックなパブも、今はまだ。
 

こちらのお花屋さんも、
地元に根付いていらっしゃった雰囲気を感じます。

さえぎるもののない、交差点の立地が災いし、
水が渦をまいて、滞留してすべてをもっていったのでしょうか。
どこかでお元気でいらっしゃるのか、心配です。
 

 
 10mほど離れたところで営業再開のご様子です。


本日はお休みのようでした。



鮮魚屋さん、胡蝶蘭が見えます

バナナの箱が積み上げられていました。
この暑さ、そして新鮮、かつビタミンは必要です。
 


永巖寺の近くまでくると、
喪服の女性に連れられた白いシャツを着た子供がふたり。


       八百屋さんでしょうか、

いえ、生花も取り扱っていらっしゃいます。

    ご家族で営業されているのでしょうか、
    とてもお忙しそうで、お声もかけられません。
    これから配達のご様子。
    ユリ・キクなどが多くの生花が見受けられました。

すぐそばにもう一軒


50数年の歴史、敗戦後の日本の復興と成長をともに。
こちらから、永巖寺を見る。

          お豆腐屋さんの入り口


                       




こちらのお店も遮るものがなく、、、
お花屋さっも、町の楽器屋さん、音楽教室も
町の子供たちが、世界の文化とつながるところです。
残念でなりません。




 石巻商工会議所


 さてこのとなりの先ほどの立花屋さんを訪ねることにしました。
(続く)



立町商店街。津波は、この奥からすごい勢いで。



商店街の方々は、車でない方は、この羽黒山 鳥屋神社の境内へ
駆け上がったといいます。


そう、忘れてはいけないこと。




JR石巻の周りは、
サイボーグ009一色だった。



駅構内、駅前にフィギュアがあり、
私は、その歌はなんとはなく覚えていた程度。

しかし、帰ってきて調べたら、009の戦士たちは、
人のこころを持ったサイボーグなのだという。

そして、自分たちを拉致してサイボーグにして、
世界を思いのままに操ろうとする悪に立ち向かう、
力を授けてくれた張本人たちに立ち向かう。

しかも、作者 石ノ森章太郎氏が、世界へ旅した記憶をもとに、
9人の戦鬼(戦士)をすべて外国人(009のみ日本人とのハーフ)という設定にしたのが
非常に興味深くおもった。

なぜなら、今回の震災の支援は、多くの諸外国の方々が、政府の支援はもとより、
かばんひとつで、会社から休暇をとり

はるばる、地球を半周してやってきた人々がいるからだ。

Wikiより、写真は
女川町内で行方不明者の捜索に当たる
インド国家災害対策局対応部隊(NDRF)のレスキュー隊員。
同部隊は328日から48日に帰国するまで活動を行った。

彼らの個人個人の名を誰が知ろう、インドのどこから、どの町から来たのか、誰もしらない。
インドの国家としての義務を果たすため、であっても、彼らの胸にはどう映ったのだろう。

サイボーグ009の歌詞に、
誰がために戦う、というフレーズがあるが、自衛隊の方々のことも含め、
作詞をされた石ノ森さんは、ほんとうに明確な理念を心にいだいて
熱い思いで筆を取っていらっしゃったのが
伝わってきた。

誰のため、自分のため、家族のため、みな日本の「公」にだけではない、一見、世界は、各国の権益で争うが、
目に見えない世界の「公」とうものが存在しているのがよくわかる。
歌詞とyou tubeを掲載させていただきました。。
ニ短調の旋律、成田賢さんの声、心に刺さります。


~~~~



「誰がために」
作詞:石ノ森章太郎 作曲:長尾昌晃 歌:成田賢


吹きすさぶ風が よく似合う                                
九人の戦鬼と ひとのいう

 だが我々は 愛のため
戦い忘れた ひとのため

 涙で渡る 血の大河
 夢みて走る 死の荒野

サイボーグ戦士 誰がために戦う

葬いの鐘が よく似合う
  地獄の使者と ひとのいう

だが我々は 愛のため
戦い忘れた ひとのため

闇追い払う ときの鐘
明日の夜明けを告げる鐘

サイボーグ戦士 誰がために戦う




 
``For Whose Sake`` 
translated by shintaro watanabe
1, Matching well in blustering wind ,
   the 9 soldiers , we are said to be.
   But we are fighting  for love
   and  the people who forget to fight.
   couldn`t crossing the river of blood  without tears
   We`re just passing through the dead field , holding dreams
   cyborg soldiers 
   Do you fight for whose sake?
2, Sorrounding  with the knell ringing,
    the hell messengers , we are said to be.
    But we fight for love
    and  the people who forget to fight.
   the ring tone tells us the darkness being vanished.
   And that is lead by the tommorow`s  Dawn. 
  
   cyborg soldiers 
   Do you fight for whose sake?
roman word-version
1,Fukisusabu kaze ga yoku niaou
   kunin no senki to hito no iu
   daga wareware wa ai no tame
   tatakai wasureta hito no tame
   Namida de wataru chi no taiga
   Yume mite hashiru chi no kouya
   Cyborg senshi
   taga tame ni tatakau.
2, Tomurai no kane ga yoku niau.
    Jigoku no shisya to hito no iu.
   daga wareware wa ai no tame
   tatakai wasureta hito no tame
  yami oiharau toki no kane
  asu no yoake wo tsugeru kane.
   Cyborg senshi
   taga tame ni tatakau.






 午後は、女川町に向かいます。





・・・・・・・・・・・


仙台市内にて  7/17/2011




気になるお花屋さんがありました。
花コンチェルト・ブルージュさん。

震災で被害にあわれた沿岸部の花屋さんに使用しなくなったフラワーキーパーを
お譲りになったことをWEBで知りました。
仙台から歩いて20分。愛宕上杉道を北上して上杉1丁目交差点を右に曲がるとあります。
しかし! 
残念ながら接客中の様でしたので、外観だけお収めさせて頂きました


 
この通りには、SEIYUもあり、4398円の福島産の真っ赤なトマトが風評などそっちのけ、御昼時のお客さんが買っていきました。冷やしトマトにそうめん!ですかね~





そしてこの通りにもう一軒、素敵なお花屋さんがありました。




 「花工房 遊」さん


この炎天下、昨日のフラワーショップ花友さんで
購入したお花がどうなっているか、、昨晩たっぷり水揚げしたとはいえ、
私の手の中でかわいているのは明らか、、それがコチラ↓



 ペットボトルで早速水を上げました。でも日差しの明るさにとても映えています。

 愛宕上杉通を仙台方面へ





大きなブライダルショップさまもありました。

この辺りは、東北大の農学部、宮城教育大附属中・小・幼稚園まであって高級住宅地でした。さらに北上すれば、泉区、泉パークタウンがありますが、今回はここまで。



住宅地の庭先のバラ




そして
朝早かったのでまだ開店前でしたが、とてもお客さんへの細やかな心使いが文面に感じられる


クロスハーツ さま 


こういうお店から買いたいな、と思うものですね。

        


こんどは鹿児島県民ですね



朝、松島海岸から仙台駅を寝過したと思ったら最終駅の「あおば通」駅に着。
眠気まなこで、改札口を出ると地下の柱にGoogleの広告がこれでもかと。。


市内の多くのお店のPR、ミュージシャンなどが定禅寺通などのPRをしている。
そこに一件、花屋さんが。。「Moonstruck」さん。
青葉区一番町へいってみると「本日は予約のため」と閉まっていました。
こちらも外観です。





仙台駅中のビルは食品が中心、花屋さんは1Fにあったが、種類は残念な品揃え。
かなり広い面積なのに、通路に六魂祭のお客さんがひしめいている。
スクランブル交差点に近い。地下道を進んだLOFT内のお店も今日はしまっていた。


イタリアの友人が、こういうのを評してイタリアでは
「だれですか! 動物園のカギをあけたのは~」と言うらしい。。




<六魂祭>


六つの魂=東北六県
午前中に青葉区上杉(かみすぎ)を中心に散策しているとき
コンビニ前で掃除をしている店員さんが、吹き出る汗をぬぐいながら
教えてくれた。
まだ11時、気温が半端ではない、35℃くらいと聞き、
祭りは、夕方が本番だろうと思っていた。
なにしろ、ポスターの下にびっしりと協賛企業が名を連ねる。
初日土曜日が、主催者の入場者数の見積もり違いで
13万人の人出があり、青森ねぶたなどの練り歩きは
危険のため中止、ということで、聴衆の熱気も半端なものではないだろう。


午後いちは、駅を出て南側の青葉区中央の花屋さんを見て回っていると
Twitter 14:30 「締めは立派なねぶたでした!!」の文字が
・・・残念!
結局、23万人のひとでで、主催者予想の約4倍とのこと。


警備人数が手薄と聞いたので、逃げ切ったのかな?と思った。
ファミマの氷凍庫に店員がペットボトルを次から次へと入れている。
熱中症がでたらそれこそ大変だ。



<農産物直売イベント>
仙台国際ホテルの道路を隔てて反対側。新しいウェスティンホテル仙台の前で
JA加美よつばの農産物直売イベントが行われていた。
ジャズとボサを奏でるミュージシャンの曲を聴きながら
一杯やっている通行人もいる。


ぼんやり眺めていると、店員さんは一向にガッツいていなくて、
「なんとなく」感が伝わってくる。購買客は夕方近くになってもまばらだ。
知名度が低いのか、定期的に行っているから新鮮味がないのか。



そういえば、このホテル内のフローリストで
今回震災で打撃にあった、宮城県名取市の宮城野バラ工房 梶農園のバラが売られていた。
こちらもお休みのため外からみるしかなかったが。
直後は、海水による被害を聞いていたがすぐに農園にお電話するも、
本日は休園日とのこと。