2011年11月12日土曜日

原発事故調査委員会 は、「検証無き国家」の前例を覆す?

watanabe

第三者検証機関の設置は、官僚主導から、真の民主主義への布石になるか。

原発事故調査委員会の国会設置法

30日午前11時半過ぎ、参議院本会議で可決・成立した法案。

日本の重要な政策判断について、
今まで国会が一度も第三者機関で検証したことがなかったそうだ。

日経の10/30朝刊
「民間人による検証組織を国会に設けた前例はない」と評価。

原発事故を受けて独立した調査委員会の設置
⇒原発事故調査委員会

各党が賛成して、設置法の成立にこぎつけたのが9月末。
施行日は、国会召集から起算して10日を経過した日」つまり10月30日。
*専門家からなる民間委員
*参考人の招致
*国政調査権
検証にあたって事故当時に対応に携わった東京電力や政府の関係者を国会に参考人として呼ぶことができるなど、政府の調査委員会よりも強い権限がある

初めて、民主主義の代表である政府が、官僚主導ではなく、
「政治」主導に身を乗り出してくれた例であると述べております。

私は、意外に思いました。事故調査委なんかは、星の数ほどあると思っていましたが、
きちんと、
「行政府から独立した」「検証無き国家の前例を変える可能性を秘めている」
意味で評価できそうです。

「恐怖を世界にまき散らした責任、その検証を当時者の政府だけでにまかせて、
世界に対する責任が果たせるのか」

英さんの友人のいう、2つの日本、これは絶対に、行く末にはみたくないものです。
悲観しすぎながら、行動するとどうしても、「怒り」「悲壮感」が周囲にでてしまう。

国家行政をチェックするその「程度」がいままでで一番「大きい」のでしょう。
でないと民主党は次、選挙でのこれません。これだけ政治への関心、リタラシーが上がれば。

だから、これが真の日本の第一歩を踏み始めたと前向きにとらえましょう。

2011年10月31日月曜日

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった





ドイツのルター派牧師であり反ナチス行動で知られる
マルティン・ニーメラーの詩。
Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller



社会学者の上野千鶴子さんが、「脱原発社会を創る30人の提言」でふれられていた人物。

10年以上前、「the nightmare yearsBBCTVドラマがありました。
CBS記者としてドイツを取材したWilliam L. Shirer ウイリアム・シャイラーが、
情報操作で、国民を戦争に加担させていく、ナチスの政治的企み・陰謀を
ジャーナリストとして追究していく、という内容でした。

彼の著書Berlin Diary (1934-1941) ベルリン日記には、
ドイツが次々とナチ色に染まっていく様が詳細に渡って描かれています。

  私は、そのドラマでこの実在するニーメラー牧師の名前を知りました。

WIKIに独訳、英訳があり、そして以下のニーメラーの詩の意味するものを伝えています。

「自分には関係ない」と見て見ぬふりをしていたら、自分がいざそのターゲットとなったときには、
社会には声を上げることができる人は誰もいなくなっていた、というもの。

~~~

*日本語訳

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、)
私は共産主義者ではなかったから。

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、
私は社会民主主義ではなかったから。

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、
私は労働組合員ではなかったから。

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、
私はユダヤ人などではなかったから。

そして、彼らが私を攻撃したとき、
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。


*English version


First they came for the communists, and I did not speak out,
(When the Nazis came for the communists, and I did not speak out,)
because I was not a communist;

Then they locked up the social democrats, and I did not speak out,
because I was not a social democrat;

Then they came for the trade unionists, and I did not speak out,
because I was not a trade unionist;

Then they came for the Jews, and I did not speak out,
because I was not a Jew;

When they came for me,
and there was no one left to speak out for me.




*Deutsche version

Als die Nazis die Kommunisten holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Kommunist.

Als sie die Sozialdemokraten einsperrten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Sozialdemokrat.

Als sie die Gewerkschafter holten,
habe ich nicht protestiert;
ich war ja kein Gewerkschafter.

Als sie die Juden holten,
habe ich geschwiegen;
ich war ja kein Jude.

Als sie mich holten,
gab es keinen mehr, der protestieren konnte.

~~~
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』ミルトン・マイヤー
『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(田中浩・金井和子訳、未來社、1983年)や
『デモクラシーの冒険』([[姜尚中]][[テッサ・モーリス=スズキ]]、集英社、2004年)でも引用されている。






2011年10月30日日曜日

祖先からのアドヴァイス~昭和天皇の言葉にこめられているもの

watanabe


 昭和天皇の玉音放送の終末箇所に、
日本の歴史観、倫理観が、

現れているような気がします。
あくまで私の個人的に感ずることです。

「・・・・・もしそれ情の激するところ、みだりに事端をしげくし、
あるいは同胞排せい、互いに時局を乱り、ために大道を誤り、

信義を世界に失うがごときは、朕もっともこれを戒む。

よろしく挙国一家、子孫、相伝え、よく神州の不滅を信じ、
任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、
道義を篤くし、志操を固くし、誓って国体の精華を発揚し、
世界の進運におくれざらんことを期すべし。
汝臣民、それよく朕が意を体せよ 」


このような文面をものした君主は世界を見渡しても、
1000年の単位をとっても3人といないでしょう。
それくらいの絶対理性を、諦念と受容・気迫で支えています。

「フランスの人権宣言は、一世紀にも渡って哲学者たち、
深遠な思想家たちに議論されフランス人に受け入れられ、
風習にまでしみこんだ理性である。
その権利と義務は、人間倫理の保証者である「最高存在」を
よりどころとしている。」・・・フランス人作家ジュール・ミシュレが述べています。

この「最高存在」は、日本バージョンでいえば、
「万邦共栄の楽を共にするは、皇祖皇宗の遺範にして」といわれる陛下の信念に近いものと察します。

我々の祖霊の遺範こそ、
日本精神の瓦解を恐れ、追い込まれた人間・陛下がすがったものであり、
今の我々が頼るべきものであるともおもいます。

それを現実にどう用いるか、その手法は、おまえたちで
考えよ、ということなのでしょう。

これが、フクシマに対するに相応しい、
祖先からのアドヴァイスともおもいました。



無関心と「正論」は、同じムラの住人ではないか?

watanabe

無関心とは、変化を嫌う、いいかえれば、矛盾した状態を嫌うということでしょうか。

非被災地の人間は、秩序の中で、安心して、
レトリックを最大限に振りかざして悦にいる。
こういう側面は否めない、目の前に危機がないのだから。
無論、私もそうだ。

その中での議論、意見は、権威を笠に着ていればばなおさら、
それは影響力を持ち、ヒトはなかなか疑う術をもたない。

放射線のたずさわる技師が、「移住すべきだ、福島の野菜は一切とるべきでない」という。

もう、涙がでそうなくらい、もっともだ、これ以上ないくらい正論だ。

広大な土地があるわけでもなく、補償金額もまかなえず、戸別の食料の検体を
ひとつひとつ測る経済的余裕もない。

その矛盾の中、、こどもでもできる「正論吐く」ならば、
じゃあ、どうすればいいのかを、「対案」を示すべきである。

どんなに専門家だろうと、自分の感情が受け入れなければ、
その存在の全体を、そして詳細を受け入れようとしない、
キレイ好き、見てみぬふり
放射線による実害、そして風評もあるなか、TPPへの加入。
そして「除染実施」と「住民帰還」、そして郡山などでのこどもの集団疎開の訴訟、


 矛盾は、受け入れ、第三の道をゆかねばならない。と思います。

「言葉は、人を生かしも殺しもする」 このひとつひとつの言葉の力こそ、
正負のエネルギーがこもっている。

データをもとに、ワラントを組み立て、そして、人々に語る「言葉」を
丁寧に、取り扱わなければならない。 

まがいの言葉に自ら幻惑し、そして、他者を幻惑したものは、
過日に災いをもたらすとおもいます。


下記は、宮古市に合併した旧田老町役場の前に立つ石碑です。
過去の津波災害から立ち直って、「生まれ変わった」田老町を誇らしげに称えるもの。

皮肉にも、人間の力で「繰り返さない」と誓ってもその7年後に、災禍が襲う。
「あのとき、こうしておけば良かった」

これを矛盾のさなか、無関心にならず、考えなくてはならない。






自分をイデオロギーの小さな枠に押し込めて自らを不自由にする


yamakata

〜反原発派は自分たちの論理の根っこが無茶苦茶だということを反省して欲しい。しないだろうが〜
という意見を聞きました。
しかし、この発言者もまったく同じ無茶なのではないかと僕には思えます

論理には必ず前提となる「公理」があります。
〜公理(こうり、Axiom)とは、その他の命題を導きだすための前提として導入される最も基本的な仮定のことである。〜Wikipedia
専門家ではないのでおおよその当たり前のことしか言えませんが、
そもそもの一番大事な部分についてすっとばして議論をしてもすれちがうばかりです。自然科学が発達したのは、公理を厳密に定義したことによるところが非常に大きいと思います。ただし、あくまでそれは、「仮定」であり、絶対的に正しいかどうかは未知です。

アプリオリなものは存在しない。

この認識がないことは非常に大きな問題ですね。
釈迦が2000年以上前に悟ったことから、私たちはまだまだ遠いところにいる。というか反対方向を見ているように思えてなりません。

原発推進派も反対派も前提としていることがらが実は非常に危ういものだということを認識しなくてはいけない。

議論をするには、互いの、できれば人類にとっての共通項をくくり出す、まさに因数分解の基本ですね。
共通の前提として認められることがらを定義しないことには議論がすれちがうことは必至です。
ちがうところに注目して一々反論する姿勢は対立を深めるだけ。
共通項、互いに共感できるものを見つけ、それについて議論を広げていく、通常おこなわれているのとは正反対のアプローチが必要なのではないでしょうか。

共通項として考えられるのは、人間として生まれながらに備わっている欲求、倫理。そうした根源的なことがらから出発して初めて真の対話が始まり、共感ベースの建設的、創造的な議論が活発化するものと思います。

まだまだ人類は自分をイデオロギーの小さな枠に押し込めて自らを不自由にしてしまっている、そう感じます。いい加減、イデオロギー闘争なんて卒業しましょうよ、と言いたい。



福島の野菜について考える 2  「土地を支える農家」そして「農家をささえる市民」




上記は、JR新橋の駅前、カタログハウス社の売り場1Fのメインフロア
「福島さん(産)の野菜」コーナー



やはり、買い支える「ひとの力」 、理解しようとする力。
傷物、を嫌い、包装箱をすこしでもきれいんもの、おいしそうなもの、パッケージデザイン、
見た目に必要以上にこだわるのも日本人。

ダイエーなどの量販店が、行う場合、年齢別の制限、そういうポップがだされた時点で、
主婦は子供には食べさせないと思います。
直感的に、保護本能が働いて、「美味しそう」という感覚が減退するのではと思います。

ただ、ある程度の年齢層なら、たとえば、お店においてあるカウンターなどで、
目の前で測って、表示のベクレル数に誤りがなかえれば、購入するということがあると思います。
しかし機材はそろわないのが現実。全量検査もできないのが現実。

大量に扱う流通業者にはそもそも矛盾しており、無理がある。
ただし、そこまで思い切ったことをするお店、農家、第一歩を行う農家が出てきていますね。
カタログハウス社の新橋店、また福島屋さんなど。
今日いったダイエーでは、ナシも、トマトも、桃も、
お客に一番良く見えるディスプレイに設置されていました。
店の「売りたい」意図、「売れる」目論見を感じます。実際、これだけ豊富にならんでいると
美味しそういです。トマトモ、桃も、なしも、ベクレル表示はありません。
何かがオープンでないことも感じます。
適正価格で農家から買い上げているのか、安く買い上げ、通常で売る、
そんな商道徳への背反がもしあったら、と不遜にも考えてしまう。
多くの消費者は、「買い支えたい」「おいしそう」が入り混じった気持ちだと思う。
政府から農家への補助金の話も出てこない、福島県民、農民がぐっとこらえている姿が
浮かんでくる。

日本は、ほとんどの農産物において、産地を単位として、
計画的かつ安定的な供給、需給調整に合意した地域で、産地同士競ってきた。
それにより日本の食文化は、成り立ち、日本の農業は、競争力をおのずと高めていった。
しかし、それにより、生産同士の争いで疲弊し、農協が間に入り、そして流通業者に
商物分離で買い叩かれ、流通側が優位の立場にあることを
花き業界を調査したときに学びました。
*バラ生産者のマネジメントを考えるブログ
http://irosarosa.blog81.fc2.com/

「NPO生産者の存在がこれまでの花き業界を支えてきた 」
「やっぱり自分で価格を決めたいんですよ 」
これらの項には、なるほどと思わせる何かがあります。
このブログでは、卸売り市場の内部観察もしていらっしゃり、視点が鋭いです。ぜひごらんください。

しかし、情報開示をして、野菜を○○才以下禁というものでも、購入する層は確実にあると思います。
それは、生産者で、あくまで「除染をするのだ」という強い意志を持ち、
自然に寄り添う立場を明確にする農家があるように、
消費者でも、正しい情報であれば、40歳以上であれば、低線量、基準値以下であれば、
また年間通じて食べるわけもなく、旬に美味しいものを普通に摂るだけでも
大きな影響はないと、「意識的に美味しく」食べる市民も存在する。
これこそ、商道徳ならぬ、生産道徳、そして消費道徳の形でしょう。
この3つが健全であること。
しかし5-10年後に、はじめて、小児白血病、心不全などの、症例がでたときに、
マーケットがどう対応するのか、今までの表示で安全だったのか、
いっせいにそのときにまた、世論が沸騰するはずです。
このときに備えて、検査と表示だけはやはり求めたい
また、「ホウレンソウ」ならホウレンソウの産地同士で、全国ホウレンソウ協会などで、
そこの認定機関に、「放射能安全度」などのお墨付きをもらうような流れに、
なればと思う。共同で、検査とPRに出資する。今は、調査も計測も、バラバラ。
どこかで、統一した流れにもっていく必要がある。
風評はいつまでも収まらない。
中国の農薬にまみれた汚染の情報も、改善されてはいても、統一的な認定機関から、
継続的に「安全情報」が発信されないと、いつまでも中国産へのイメージは悪いままであるのと
同じことである
現在、友人も大雑把に、「西日本」ならOKという判断をしている、という消費者は多いと思う。
それを、東北・関東で結託して、指定産地ごとにいつまでもしのぎを削ってばかりいると、
結局は、流通業者ばかりに「利」が行ってしまう、

生産者と消費者が直でつながる、やはりこれがいちばん良い、ということになります。

福島市民の声「何もわからない、今の体内の積算内部被爆量すらわからない」

watanabe

今日、職場で、福島市出身の
おそらく、大学卒業後、20代男性と話したこと。

福島県の放射線リスクアドヴァイザーの山下俊一教授については、知らない。
ただ、県民200万人が、今後被験者となっていくことについては、
「実験台にされるのは冗談ではない」と語気を荒げた。
(県民でも、福島市民でも知らない方がいるということには、少し驚きを感じた。)

「福島の野菜は、福島県民だって食べないとおもいますよ。」
「でも、福島の農家は、きっと大変ですね。」

矛盾したものを人は受け入れている。
気の毒だが、自分自身が食べることはできない。
「夏に、ついこないだも、福島にかえった。町は、普通、なにもなかったかのような生活。」

「出身の高校が、除染作業するのを見た。校庭を大きな幕でおおう。」

地元スーパー名「いちい」

「特に、ベクレル表示、地元でも見ていない。正直、実際にスーパーでそこまでみた記憶はない。
汚染表示があっても、低濃度でも、他に選択肢があれば、
その選択肢が、予算内であれば、そちらに、手が伸びる。」

*もう一人、武田教授の情報を信頼している別の同僚にも、聞く。
同じ答え。
武田先生は、一年位は、風評もふくめ、なにか、売らんが為に対策を講じても、逆にしない方がよい。という、
社会の風潮に従うべき。(武田先生が、そのように言っているかは不明。
彼は、そういっていると思っている、先生の意見は、全体を俯瞰しているから、信頼していると)

2人とも、反原発、原発容認、議論については、不可知論者ぽい、要は、
どちらがよいのか分からない。

「赤ちゃん、子供は、そもそもあまり、福島市内の外をであるいていない。」

「マスクは、みなほとんどしていない、効果がない、と思われている。」

「現在働いている兄弟で、引越した同僚、同級生も多い」

「できるものなら、引越したいとみな思っていると思います」

大学の同級生、警察官になって一年、二年目に、
今回のことが起きて、南相馬市に配備。
「正直、辞職願を考えた。」
結局、辞めず、続行したとのこと。

「しかし、病気が、おそらく、数年後にでるかもしれない。
何もわからない、今の体内の積算内部被爆量すらわからない。」

あきらめざるを得ない状況。

「でも、もし、自分達が病気になったら、一体、どうしてくれるんだ! とおもいます」

私は、そこで、彼との間に、
見えない一線がひかれているのを感じる。彼は、当事者、恐怖を何処かで感じている。

私は恐怖は、身の危険は、確実に感じていない、安心している。
この境界は、なんなのだろう。

そもそも、福島県民は、フクシマ原発の電気を使っていない。

倫理的、道徳的にも、都内の人間が無関心なのは、

そもそも理解できない部分、自分をふりかえってもまったくそうである。